22.Februar.2012
自身につながる機会
今日偶然にも人にお会いして自分の作品について話をさせてもらう機会を得た。
今まで、というかここベルリンに来る前まで、個人的には自分の作品に自身はあったが、それを他人から賞賛されることなどあまり期待していなかったし、そこまでのものだとも正直思っていなかった。何が伝わるのか/伝わらないのか、何に共感されるのか/されないのか、どのように理解されるのか/されないのか、そのような線引きを人に会い話をするたびに精度が上がっていくのは感じていたが。
今日の経験を通して、気付いたこと。臨機応変な判断能力、コミュニケーション能力に基づいた深遠な思考は、必ず人に少なくとも多少は響くということ。
この繰り返しに拠ってでしか、自分のボーダーのミリ単位での調整は利かないのだと思う。無駄な一言で会話をぶちこわしたこともあるし、余計な1本の線で画の意図をくるわせたこともある。一歩ずつですね。
歩んでいるということが分かるのはとても幸せな気分です。
それがありの一歩だとしても。
今まで、というかここベルリンに来る前まで、個人的には自分の作品に自身はあったが、それを他人から賞賛されることなどあまり期待していなかったし、そこまでのものだとも正直思っていなかった。何が伝わるのか/伝わらないのか、何に共感されるのか/されないのか、どのように理解されるのか/されないのか、そのような線引きを人に会い話をするたびに精度が上がっていくのは感じていたが。
今日の経験を通して、気付いたこと。臨機応変な判断能力、コミュニケーション能力に基づいた深遠な思考は、必ず人に少なくとも多少は響くということ。
この繰り返しに拠ってでしか、自分のボーダーのミリ単位での調整は利かないのだと思う。無駄な一言で会話をぶちこわしたこともあるし、余計な1本の線で画の意図をくるわせたこともある。一歩ずつですね。
歩んでいるということが分かるのはとても幸せな気分です。
それがありの一歩だとしても。