[#diary]

4.Dezember.2017

さること

先週から立て続けにいろんなことが起こっている。

と言っても、自分に関した物事が多い訳ではなく、友人知人の身辺の変化に関してのことの方が多い。

ある友人は、5年以上務めた事務所をさり、恋人のためにニュージーランドへと旅立つ。

とても才能のある友人で、事務所内でもその将来を期待されていただけに、ことのほか彼の決断は僕にとって嬉しい物だったと思う。彼が自分の、自分自身の幸せのために決断を下した事、周囲の評価よりも自分の信じる道を選んだ事、全てにおいて彼はやはり僕の期待を裏切らない。

来年1月には次の場所がきまる。願わくば希望通りであって欲しいと思うが、こればかりは運とその周辺に混在する幾多のおもいの帰結でしかないので仕方ない。

いつになったら一皮も二皮も向けることが出来るのか。

好きなことを大切な人とやり続ける事で一生を終えられることができたらそれは素晴らしいことだと思う。当たり前かもしれないけど、難しい。

n_sawaya_in_canada at 06:08|PermalinkComments(0)

5.September.2017

消えてゆく記憶

この2週間と少しの間、色々と自分の身体を介して見聞きしてきた。

正直、予想以上に自分の体を通して経験することの意味が再確認できたように思う。

瞑想だけでなく、ホーチミンという街の躍動感、人の活動、空気の汚さ等々。

帰り道の空の上、自分にとってこの感覚がなんなのか熟考する時間はまだある。

n_sawaya_in_canada at 13:09|PermalinkComments(0)

4.September.2017

ホーチミンより

今ベトナムのホーチミンにいる。

今日10日間の瞑想のコースから帰ってきた。

とても、辛かったような辛くなかったような、とても長かったようなそうでもないような、何も変わってないようなもしかしたら変わったような、とても複雑な気分。

明らかに言えることは、一言では表せない複雑な思考の乱高下があって、自分は心にその大きな部分を占められているということ。10日間の間はあれだけ長い長いと思っていたのに、いまになってあまり思い出せないくらいなので、それほど辛かったのだろうと自分自身の気持ちを推し量る。

何かの答えを出しに行ったつもりで、それでもそんなものはないよと言われ、それでも食い下がりつつ自分の心の糧になるようなものを得られるように頑張り抜いたつもり。

心が洗われたなんて表現ではなく、玉ねぎのような幾重にも重なった自分の身を守るための(何から守っているかといえばそれは不明)心の皮が何枚か剥がされて心がいくらか研ぎ澄まされたような感じ。その分答えは出やすいが、それをひた隠そうとする自分の心の動きも見て取れて尚更辛い。

朝4時に起きて夜9時半就寝の生活。アルコールもタバコも携帯もネットも肉も魚も夕食もない生活。強制されていたと言いつつも、とても守られた環境だったのだろうなと出てきて思う。あそこにいれば突発的な心の動揺や痛みなどを回避できるから。それでも過去や未来の良いことや悪いことの妄想が巡り巡ることだけは避けられないけれど。


いますぐそこに帰りたいかといえば、全くもってそうではないけれど、またいつか、2−3年のうちに自分の心のマイルストーンの為にいきたいと思う。

Vipassana meditation




n_sawaya_in_canada at 04:43|PermalinkComments(0)